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厳選された双眼鏡

流通経路では、中間段階でマージンが取られ、それが価格に上乗せされている場合が多くあります。 そうした流通システムには、もちろん、それなりの理由があります。
たとえば、商社や問屋は、過少資金で運営する小売店を資金面でサポートする代償としてマージンを取ります。 また、輸入業務を代行すると同時に、外貨の面倒もみますので、これらに対するマージンも取ります。
2万、小売店は、売れ残りのリスクを引き受ける代わりに、高いマージンを取ります。 こうして輸入品の小売価格はどうしても高くならざるをえないわけです。
Lジャパンのビジネスモデルは、直営店方式による販売ですから中間の流通コストが発生しません。 また、それは価格を自由に変更することを可能にするシステムでもあります。

価格を下げることが可能だった要因として、常に需要が供給を上回り、商品在庫が滞留することなく、うまく回転していたことも挙げられます。 通常、店頭での商品の上代価格を下げると、在庫の評価額は変わりませんので粗利が減少します。
たとえば、却や小売店など取引先の多いところは、それだけ在庫を抱えているところがたくさんあるわけですから、いきなり来週から商品の値段を下げるなどといっても、そんな勝手なことはできません。 もし小売りの倉庫に在庫が残っていたら、小売りは仕入れたときに予定していた価格よりも安い価格で販売することになり、粗利益が減ってしまうからです。
価格競争というのは、会社のなかの資源である。 たとえばビジネスにおけるクリエイティピティーを浪費する戦いだと思います。
たとえば、製品やサービスの向上など、そうした駆け引きよりもほかに、もっとエネルクリエイティビティーを発揮すべきものがあるのではないでしょうか。 あらかじめ高めの値段で価格設定しておいて、実際には、各店の店長の裁量で販売価格(店頭価格からの割引率)が決められているといった話をよく耳にします。
店長からすれば、得意客にはたくさん値引きしたいと考えるでしょうし、そうでないお客様には正価で売ろうとするでしょう。 しかし、これはLが考える価格政策「すべてのお客様に、同じ価格で販売する」に反するものです。
Lは、百貨店のポイントカードやセールでも対象外の商品にしてもらっています。 また、Lは、これまで約150年という長い歴史のなかで、一回もセールやデイスカワントをしたことがありません。
こうした経営の単純化販売価格という変動要因をあらかじめ取り除いておくことが、現在の経営の好循環に結びついていると思います。 価格交渉という駆け引きにエネルギーを費やすのではなく、本当に売るということお客様との対話のなかから、お客様が必要としていることや、求めていることにのみ集中することが大切だと考えています。
お客様にとっても、他の店に行けば、あるいはもっと交渉すれば安く買えたかもしれないなどと余計なことを考えたり、不安になったりすることもありません。 わざわざセールの時期まで待つ、といった時間の無駄もなくなります。

考えてみればもっともな考え方であり、きわめてシンプルでオーソドックスな手法ともいえますが、これを実行するためには、強い商品力が不可欠です。 Lには「自らを語らず」という企業文化があります。
誠実に製品づくりをしていれば、製品自身が多くを語ってくれると信じ、創業以来、この方針が守られてきました。 広告宣伝活動を含め、自社の、ブランドや商品を直接プロモーションすることはあまりしてきませんでした。
ヲレディビリティーの構築・広告の一貫性1980年代、バブル経済が始まる前あたりから、いわゆる、ブランドブームと呼ばれる時代がやってきました。 一言にブランドといっても、デザイナーズブランドやキャラクターブランド、Lのように古くからメ、ソンとしてのブランドを確立してきたブランドなどいろいろあるのですが、それらがすべて「ブランド」という名で一緒にされ、キャラクターブランドは別としても、デザイナーズ、ブランドとメゾンブランドとの違いなど、意識されていませんでした。
デザイナーのデザイン力で売るデザイナーズブランドとメゾンブランドとのあいだには、大きな違いがあります。 クラフツマンシップに支えられたメゾンブランドでは、歴史や伝統、技術、哲学、美意識が不可欠です。
「自らを語らず」というポリシーを守ってきたLですが、日本への進出を足掛かりにして国際的ブランドとなるためには、Lがどんな、ブランドなのかを理解してもらうことが重要な課題となってきました。 その最初の実験の場となる日本で、まずは商品よりも、メゾンブランドとしてのLを紹介していきたいと考えました。
また、日本支店を開設した当時は、並行輸入業者などによって大都市を中心にハンドパッグが大量に出回っており、Lはハンドバッグメーカーで、ブランドのルーツメゾンブランドとしてのLを紹介する最初の試みは、78年9月、日本橋Tで聞いた「L展」でした。 次に考えたのが雑誌での展開です。
数多くのアンティークトランクや、L家が所有している鞄、そして、探検家用のベッドトランク馬車用トランクなどが展示され、旅の手段の変遷とともに発展してきたLの歴史を紹介したこの展覧会は大きな反響を呼びました。 これらのイベントをとおして、改めて「Lのルーツは旅」という認識がされたのではないかと思います。
そのためには、広告ではなく、読みLが、いわゆるファッションブランド物としておもしろい記事広告の形をとることにしました。 最初の企画として、80年には、それまでの女性に偏ったLのイメージを少しでも本来のYに近づけたいと、あえて女性を対象にせず、男性向けのライフスタイル誌で見聞き2ページのインタビュー形式の広告「Sシリーズ」を始めました。
このシリーズは85年に再開されます。 今回は女性にも登場していただき、当時は京都在住だった銅版画家のYさんや、襲名披露をして間もない歌舞伎役者のIさんなどに登場いただきました。
これも雑誌掲載後に、『L独創への共感』という小冊子にまとめさせていただきました。 80年には、もうひとつの重要なイベントがありました。

1854年に創業した仏L社の、125周年記念のイベントです。 フランスでは、これを記念して、L125年の歴史を一覧できる写真集が発行されました。
それには、フランスのN偉大なるアマチュア写真家Nと呼ばれているJ氏が撮った、ベル・エポックから始まる時代の決定的瞬間の写真集が付けられていました。 日本では、Mで、L創業125周年記念ディナパティ(1980年)L氏夫妻を迎え、ブラックタイの着席ディナーを開催しました。
100名弱というこじんまりした集まりでしたが、Lを通してひとつの日仏の交流の場となったバーティーの様子が雑誌などで紹介されることで、Lの文化的側面を強く印象づけることができたのではないかと思っています。 ブラックタイの着席ディナーというのは、当時はまだ非常に珍しく、その運営を担当した広告会社の責任者は、メニューの選定やバーティーの進め方、席順など細かなところまで気を使い、バーティーの翌日には胃炎で倒れてしまったほどでした。
1月に掲載した「Lはネクタイをつくっておりません」という新聞広告です。


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